≪連載・・・『リーダーの信頼される力』A≫
〜☆Vo.8『義理 vs. 論理的行動』☆〜
〜現場の話題、落とし穴、失敗などに注目して考えるコラム〜
ある名経営者の言葉でいえば「マインド」、もう一人の名経営者の言葉でいえば「人格(歴史観、哲学観、志)」・・・これらはいったい何のことでしょうか?
実は、優れたリーダーとして必要な人材の要件として、一般的な能力ややる気といった比較的目に見えやすいもの以外で最も重要となるKSFとして挙げられたものす。
共通するのがそれらが「決してブレず、一貫性の取れた志を持っている」ということです。
本連載のテーマになっている「信頼」とも関連しますが、それらがコロコロと変わったり、そもそも「ありませーん」というのは議論の対象外となります。
なんとなく「能力」や「やる気」だけでは駄目っぽい・・・ということはわかっていても、何が足りないのか深く考えるきっかけはそれほどないのではないでしょうか。
たとえば、
○そつなく仕事をこなしていても、どうもその人の「意志」が見えない。 (分析は良いが、中身が「薄く」感じる)
○分析はしてくれて提案もしてくれるが、どうも機械的で、骨抜きの提案に見える。
○いかなる状況であっても、マニュアル対応で融通がきかない。
これらはすべて個別の問題解決テクニックそのものの問題ではなく、それぞれの仕事に取り組む際に「どのような姿勢でこの問題を解決すべきか」という自分ならではのポリシーが欠如していることが原因といえるのかもしれません。
そこで、今回のコラムでは、リーダー(およびその候補)を担う皆さんにとって決して失ってはいけない「マインド(哲学観・志)」の中で、曖昧ながらもその自分のポリシーを示す具体的な一つともいえる「義理」に対する考え方をみていきます。
●『義理』っていったい?
広辞苑にはこのように書かれてあります。
義理とは「物事の正しい筋道。道理。わけ。意味。」
つまり、これは正しい結論や戦略を導く、といったときに必要な正しい「論理(ロジック)」と似ているように思えますが、果たしてどうでしょうか。
一方、広辞苑にはこうも書かれています。
「人が他に対し、交際上のいろいろな関係から、いやでも務めなければならない行為やものごと。」
前者と後者の言っていることは同じですが、より後者のほうがより具体的かつ現場の状況が目に浮かびます。
「人のふみ行うべき正しい道」的な説明ですね。どちらかというと日本的な「気働き」(相手のことを考えて、誰に何も言われないままに行動をおこす思考)の部分にスポットライトをあてて具体的に説明をしているようにも思えます。
ただ、共通することは「人として踏み外してはいけないルール」「人として最低限果たすべきもの」といえるようです。
●私欲に走る「論理思考リーダー」
実際は、この『義理』を重視しない(義理立てが出来ていない)リーダー(候補)がたくさん存在しているという状況が多々あるようです。
もちろんこの義理にも「どこまで考えるべきか」という線引きが必要なことは言うまでもありません。見方によってはKKD(勘と経験、度胸)による経営と同じくらいGN(義理と人情)経営は危ういともとれます。
しかし、ここで焦点をあてているのは、「最低限の義理」も果たさない リーダー(候補)が増えつつあるという懸念です。
では、具体的にはどのような人、人に対して「不義理」をしてしまうのでしょうか。詳しく見ていきましょう。
大きく2つに分けられます。
1.有言不実行タイプ(気付きが足りない不義理リーダー)
これは、個人的な信頼・約束・契約にこたえる義理、ということで至極当たり前でわかりやすいですよね。これは、単に約束を守る、といった単純なものに加え、「どのレベルで約束を果たすか」といった質の問題もかかわってきます。
これは、前回のコラムの例のように、「人に紹介をお願いされた際」、単に メールまたは電話で「とにかくあってほしいといっている」的な乱暴な紹介と紹介をされる側の信頼を失わないよう、「よく内容を把握し、適当であれば全面的に自分な中に入ってお互いの説明をした上で、紹介をする」という レベルでは、全く「信頼」の程度が変わってくる、ということです。
要は、やっつけ仕事で人やモノを紹介してしまう人、てことですね。
2.踏み台型自己成長タイプ(確信犯的不義理リーダー)
一方、もう一つは確信犯的な不義理を行うリーダーです。 そして、これが今回のテーマです。
つまり、周りの人を踏み台にして、自分だけが出し抜いて成功しよう、と 考える人です。
もちろんすべてのものがゼロサムゲームではないので、自分が成功するための行動が、必ず他の人の足を引っ張るわけではありません。
しかし、ここで扱うケースは、紹介者から人脈やその人と知り合う機会を与えてもらいながらその人のメリットよりも、自分のメリット享受に励んでしまう場合です。
例えば、コンサルティング業界で多く見られるようで、こんなケースがあります。
自社(コンサルティング会社)の顧客企業を担当していたコンサルタント が、独立してその顧客企業と交渉し、顧問契約をしてしまう、という例です。
「そんな、どの企業も『競業避止契約(Non-Competition Clause)』があるじゃないか」
という方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、あくまで契約の中の話は紳士協定程度の拘束力しか実際はありません。
また、最終的に「顧客が自分を選んだ」といってしまえばそれでおしまいであることに加え、コンサル会社にとって訴訟を起こすという行動は「自社サービスの価値が、その個人1人の価値に負けた」といっているようなものですから、あまり積極的にしたくない意思決定です。訴訟の常として、勝っても自社は時間的、金銭的なロスのほうが大きい場合もありますし。
また、このようなケースもあります。
自社のクライアントをある人に紹介した後、自社のサービスと同じ領域で その人が紹介したクライアントとコンタクトを取り、契約をしてしまった、 というケース。
これらは、「まさか!そんなあからさまなケースないよ」と思われるような 出来事かもしれませんが、以外と多いようなのです。
もちろん、理由はさまざまですが、人の意思決定プロセスの落とし穴にはまって、前述のような行動に走ってしまうことも多いようです。
実際、クリティカルシンキングの落とし穴と同様、人の意思決定は、感情や思い込み、偏見によって大きく揺り動かされますよね。
たとえば、本来不義理であることを理解していないがら、「ちょっとこれは特別なケースなので直接契約しちゃおう」(例外的な事例でロジックを作ってしまうケース)とか
「紹介していただいた人のサービス領域とは微妙に異なるから、いいだろう」(自分が望む仮定を前提にして、意思決定をしてしまうケース)
などという自分の中の意見を聞いていくと、最終的に
「うん、大丈夫だ。特にその紹介者を通さなくてもいいだろう」
となってしまうことが多いようです。
● 適正な意思決定の優先順位とは
このような話をすると、常に「じゃあどこまですべきなんだ!」 「自分はボランティアじゃないし、この弱肉強食の時代に、自分の利益を 第一に考えてどこが悪い!!」と考える方も多いでしょう。
実はこの義理は、企業の中における「倫理」に関する議論と 似ているように思えます。
損得で言えば、言うまでもなく「義理とか人情といった古臭くロジックとは正反対の世界なんか構ってられない」となるでしょう。
しかし、それはエンロンやアーサーアンダーセン、ワールドコムの問題(及び破綻)と同様です。
会計操作をすれば、目に見える財務諸表上の利益を多く出したりすることは簡単なことは、小学生でもわかります。
難しいのは「信義的に○か×か」という線引きを自分の明確でブレない「マインド/哲学観/ポリシー」によって行うことなのです。
逆に言えば、多くの場合、例えば会計操作をしないのは個々人が、レベルの差はあれど「明確な自分自身における倫理感や基準を感覚的に持っているから」といえます。
ただ、前述のとおり、例外の事例や自分の都合でつくった 仮説を「いいだろう!」と意思決定するための根拠に 使ったりすることで、その基準がブレてくる危険性は常にあります。
これと同様で、自分の「義理」感はとかく優先順位が下ががちです。
それを満たしても、短期的な利益にならないからかもしれませんが、問題は、果たして、だからといってこれらの世の中の最低限のルールを無視しても良いようなものかどうかです。
ハーツバーグの動機付け理論ではないですが、サービスでも、満たされない と不満に思うもの(満たされても満足はしない:衛生要因)と、満たされると満足するもの(満たされなくても不満にならないもの:動機付け要因)とがありますが、そこでいうと「倫理感」や今回のテーマにある「義理」などは「誰に何も言われなくても人として満たすべきもの」といえるのかもしれません。
先ほどの例に当てはめると、会計操作をしたエンロンの財務担当者と同じ位、会社や人に対して不義理をしたコンサルタントは罪が深いと考えることもできるのです。
● ある経営者のひとこと
このように見てくると、義理というのは、人の世の常として他人におこなうべき道(儒教の義理)に近く、また、最近流行の武士道やその他「道」のつく人たちに共通するあたりまえ(暗黙)の「価値観」として義理ということが当てはまるようですね。
とすると、「何もいまさら」という気がしてきますし、リーダーを目指すMBA同窓生なんて、当たり前のようにできているんじゃないか?と感じます。
しかしながら、多くの人事担当者や経営者に聞くと、前回のメールニュースで挙げた「信頼感を持てない人が多い」というアンケート結果と同様「不義理な人が多い」といいます。
実は、GTFがこれまでコンタクトを持った同窓生約400名の中に、やはり何人かこのような不義理経験のある方が存在しています。
中には「なぜこのような恵まれた人が?(もう一歩で本物のリーダー)」 という人が、簡単に人に対して不義理だったりすることが多いのです。
おそらく、そのような人も確信犯的に、人を選んで(権力者には決してしないのでしょうが)行うようです。
GTFは、中立的に「18カ国54校の経営大学院同窓生を支援し、最終的に各学校のProfileを上げることを目的として当該スクールによって設立された法人の日本支部」であるため、不義理同窓生に対しても様々な形でキャリア支援(インタビュー紹介、キャリア経験、機会の提供)を公平に提供する義務はあります。
しかし、エグゼクティブサーチのリファレンス依頼や、コンサルティング プロジェクトへの参加など、重大なメンバーの選定時には、その不義理同窓生に対しては、厳しく改善指導をしています。
ビジネススクールのAlumni Officeと話をしても、皆共通して語られるのが 『小手先の経営スキルやキャリアの処世術でなく、人間的にもスケールの 大きな成功者になってほしい』という本音です。
皆さん、いかがでしょうか。
誰にたいしても、意図しない形で人に不義理をした経験など、1つや2つ ではないでしょう。
心当たりが1つでもあれば、「気付き」がある人です。改善し、更なる成長を遂げることができます。しかし、1つもこころあたりがないとすると自分を正しく認識できていない可能性があります。
最後に印象深い経営者の一言を。
GTF: どのようなCOOを望みますか? 実際、能力ややる気も重要ですが マインドもやはり重要・・・・・・・・・
経営者: (即効)いいや、マインドだけすよ。
やる気や経営スキルがある人は山ほどいる。 ただ、それらに意志が入っている人はほとんどいないよね。
逆にマインドがブレでなきゃ、やる気も出せるし、能力もつけられる。 ・・・その確固たるマインドがないと信頼できないし、 信頼できないとコミュニケーションギャップが生まれるからね。
そんな状態で権限委譲できなし、できたとしてもトンチンカンな 行動しか期待できないよ。
(新連載につづく)
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〜現場の話題、落とし穴、失敗などに注目して考えるコラム目次〜 通勤大学MBAシリーズその他の執筆を行うグローバルタスクフォースの編集部によるコラムです。体系的な知識や理論の整理を目的とするGTFの書籍群に対し、より実務的で現場よりのトピックを提供します。 ※本コラムはメンバー向けのメールマガジンの中のコーナーを加筆修正したものです
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