≪連載・・・『リーダーの信頼される力』B≫
〜☆Vo.9『朝令暮改 vs. 首尾一貫』☆〜
〜現場の話題、落とし穴、失敗などに注目して考えるコラム〜
これまで、第一回の連載『定義を定義する』、第二回の連載『謙虚さを自問する』に続き、第三回の連載『リーダー「信頼」力の危機』を前々回、前回と考えてきました。今回は第三回の連載の最後です。信頼力についてのまとめをします。
●朝令暮改は是か非か?
大辞林(第二版)によると朝令暮改は以下のような説明になっています。「朝出された命令が夕方には改められる意。法令などがすぐに変更されて一定せず、あてにならぬこと。朝改暮変」。
もともとはネガティブな意味で使われることが多いこの言葉ですが、よく「優れたリーダーの意思決定はときに朝令暮改だ」とポジティブな意味で使われもしますよね。
第一回の連載で見てきた定義の話ではないですが、いきなり「朝令暮改は是か非か?」なんて議論を始めたらまことにナンセンスな無駄な時間を費やすことになります。
つまり、ある人は「決してブレてはいけない信念は簡単に変えてはいけない」とと主張し、「朝令暮改は愚の骨頂!」といいますし、別な人は、「何を全くバカなことをおっしゃる。周りの環境がすさまじい勢いで変化する現代社会では環境に応じて考えも変えなければならない」と主張します。つまり「朝令暮改は必須要件。朝令暮改をやみくもに否定するのは単に頭がカタい証拠」となります。単に過去の成功体験にすがって思考停止しているだけ、ということですね。
皆さんおわかりのとおり、朝礼暮改か首尾一貫かは「モノによる」、ということですね。
当然、どちらも時と場合によっては重要なことです。
IT業界に懐疑的だった竹中さんが突如IT推進派に回ったことを考えてみましょう。
否定的に見れば「取り入るのがなんて上手いやつだ」となってしまうでしょうし、好意的に見れば「機を見るのが上手い」となります。
まあ、実際はどちらが本当かは聞いてみなければわかりませんが(笑)。
一般に、基本的な「スタンス(立ち位置)」そのものが変わってしまうようなこと(朝礼暮改)は、信頼を失うことが多いようです。基本的スタンスこそ首尾一貫であることが重要であるといえます。
逆に、より手段方法論に関わることの場合は、首尾一貫というよりは、むしろ自分の立てた仮説を検証しながら、必要に応じ「朝礼暮改で主張を変える」必要性がある、といえるのかもしれません。
たとえば、先ほどの例でいうと、「IT業界の全産業に占めるシェアがまだ数%にも満たなかったため、まだまだ重要な産業ではないと考えていた・・」⇒「・・・しかし、よくよく見てみるとシェア自体は数%に満たないが、伸び率が200%を超えているじゃないか・・・・」⇒「・・・(この割合でいくと数年後には全産業の中でも主要なシェアを占める立派な業界になる)・・・」⇒「・・・だからやっぱりITは推進すべきだ」というようにです。
「ビジョナリーカンパニー(J.コリンズ、J.ポラス著、日経BP)」風にいうと、戦術こそ変わりつづけても、基本的価値観は決して変えてはいけない(変化や変革が重要なことはよくあるが、基本理念や価値観はブレてはいけない)となるのかもしれません。
リーダーの信頼を形作っている基本的な理念や価値観が、時と場合によって簡単にブレてしまう、というのは言語道断。部下にしてみると、「結局都合のよい解釈をしているだけじゃないか」と思うだけなんですね。
●首尾一貫すべきもの
前述のビジョナリーカンパニーでは、こうも言っています。
長期的に優れた会社の基本理念にはしばしば正反対のものもあった。つまり、重要なことは理念の内容ではなく、その理念が組織内でいかに深く信じられているか、そして会社のあらゆる細かい部分まで、いかに一貫して理念が実践されているかが重要である。
これをリーダーに当てはめてみても一緒です。
部下や組織の形態にも関連するため、リーダーシップには唯一の最善解はない、といわれます。
機能別組織の下、軍隊のようなマネジメントで、優れた営業成績を打ち出す 営業会社もあれば、階層の少ないプロジェクトチームやフラットな組織で自律的に成長する営業会社もあるのです。
最悪なのは、一貫性なく異なるポリシーで用いられる手段方法論を一緒に活用したり、必要不可欠の手段方法論が抜け落ちたまま活用したりする例です。
(1)政策が一貫していない例
政策が一貫していない例を考えてみましょう。
日産がゴーンさんをはじめとする外人部隊(外から招聘または出向してきた 幹部。国籍的にも外人ではありますが・・・)を上手く活用して一気に会社のしがらみを断ち切って大変革を実施したのを見てそのまま他社でも真似しようとしても上手くいかないことは、少しだけ想像力を働かせると認識できます。
たとえば、トヨタで、同じように変革を起こしたらどうなるでしょうか。
つまり、2兆円の現預金を持ち、日々カイゼンし続けており変革の必要がないと言われるトヨタ銀行・・・じゃなく、「トヨタ自動車」では、そもそも会社の状況も背景も変わる目的も異なります。
大きく変わる必要のないトヨタで普通に外人部隊をどんどん入れて変えようとしても(何を変えるのか、という問題もありますが・・)会社の士気を下げて折角ボトムアップで確立してきたマネジメントスタイルの良さが出せない可能性は非常に大きいですよね。
実際に、あるセミナーでトヨタの幹部がある会社の変革を賞賛しながら、 「ウチで外部から幹部登用をするなんて、ありえないが」と付け加えました。
これは外部人材の登用自体を否定しているのではなく、少なくとも今のトヨタで行うことは適切ではない、ということです。「死ぬまで改善」という前提はあっても、会社のあらゆる制度が外部人材登用を含む大変革というものを前提としていないからです。
(2)政策の手段方法論が欠けている例
次に、政策はあるが、そのための手段方法論が欠けているケースを考えましょう。
またまたトヨタの例で考えてみます。
愛知県にあるトヨタ博物館には国内外から多くの同業他社やライバル取引先が訪れるといいます。あわせて工場見学も予約することができますが、訪れるライバル会社や中小の工場長、社長などは皆、口をそろえて「この程度ならウチでもできる」と言われるそうです。
実際、カンバン方式を中心として、既に多くの書物で事細かに生産管理手法が分析されている中、技術的な方法論は『理論』としてみんな知っているのです。
しかし、実際は「この程度ならできる」と思ったことを皆実行することは出来ないと言います。
ここには2つの要因が考えられます。
(i)「当たり前のことを継続して行うことが一番難しいから」
これは、皆さん心当たりあるでしょう。朝寝坊しないで時間通り毎日起きる、ことから始まって、アポに遅れずに訪問する、訪問前には準備をして MTGで何を得るのかという目的を明確にしておく・・など、当たり前のことを例外なく長期にわたって継続することは本当に難しいものです。
ここで重要なことは、例外をつくってしまってはできていないと同じコト、 ということ。いわゆる「全然できたうちに入らない」ということです。
「今日は体がだるいから仕方が無い」、「風邪気味だから多少遅れてもしょうがない」、などと一度例外を作ってしまえば、全てなし崩しになってしまい、何でも理由さえつくればどうにでもなってしまうということです。
上司が見本を見せる、ということばがありますが、上司が朝7時から勉強会をしようと言って、肝心の上司が時間に遅れなどしたら一気に信頼を失います。「ああ、遅れてもいいんだ」となるのです。規律が無くなる最初のきっかけです。
(ii)「1つのことを成し遂げるには、たくさんの細かな施策が必要だから」
先ほどのライバル会社の例ではないですが、実際にかつて米ビックスリーの1つだった旧クライスラーの会長兼最高経営責任者(CEO)のロバート・イートンは、94年の年頭会見で、「我々は日本メーカーに負けない生産効率を実現した。もはやトヨタに学ぶものはない」と発言したそうです。
しかし、その数ヵ月後、クライスラーの1人の幹部が米ケンタッキー州にあるトヨタのケンタッキー工場を訪問して、本当にマスターしたかどうか確かめたそうです。
出た結論は、 「クライスラーはまたトヨタに何も学んでいないことがはっきりと確認できた」 (『トヨタはどこまで強いのか(日経ビジネス編、日経BP社)』)ということです。
つまり、単に「ジャストインタイムの生産を行うために、カンバン方式を取り入れ在庫を減らしながら、多品種少量生産をできるシステムを確立したこと」がトヨタ生産方式の強みではなく、「生産の自動化にあわせ、従業員の自働化(automation with a human touch)」を徹底できたことが強みであるというのです。
例えば、「単にカイゼンをやろう」、といったときに、巷には何十冊ものテキストが溢れています。
しかしそこで重要なことはまずQCサークルを作って、アイディアを出し合い・・・という機械的なプロセスではなく、「継続的に意味のある改善を行う仕組みを作るために、できる限りの対策をとる」ということです。
つまり「意味のある新たな改善案が確実に出るように、サポートを行う数々の施策によって、魂の入らない(実際に意味が無く、稼動もしない)改善案が出るのを防ぐ」ということにこそ目的と手段方法論との間に徹底的な一貫性が垣間見られるのです。
QCサークルを作って改善案を毎月従業員から集めるだけならどの会社でもできる、というお話なんです。
実際、トヨタでは、改善案の採択率が9割以上といわれています。
「なーんだ、積極的に上のものが下から上ってきた改善案をきちんと見てあげて採用してあげればいいんだ」と思うだけなら「わかっていてもできない」部類に入ってしまうかもしれません。
しかし実際に工場で聞いてみると、様々な従業員と議論し、意見を吸い上げながらも上ってきた改善案に対し上司(リーダー)が何度も何度もコーチングをしながら「採択できるレベルまで推敲」させたうえで、提出するから 「採択率9割以上」だというのです。
号令だけかけて篩いにかけるだけなら「サル」でもできるといったところでしょうか。実際、号令だけかけて篩いにもかけない大会社がたくさんあるので、まだ検討されるだけ良いのかもしれませんが・・・
ここで重要なことは、リーダーはその方針だけでなく、その方針を達成する ために必要なプロセスまで一貫した行動・支持をすることができるべき、ということです。
つまり、「言ってることはまともだが、さっぱり現実に移されないじゃないか」というのが、信頼を失うもう一つの原因である、ということです。
●枠を広げる
ここまで、3回にわたってリーダーの「信頼」について見てきました。
頭ではわかっていながら、ドキッとするようなこともたくさんあったかと 思います。
本連載の背景としては、「次世代の日本を背負うリーダー不在」が叫ばれる中、エリートと呼ばれる人も含め「皆自己都合主義」になっているのでは、という危機感があります。もしくはあまりに「考えることをしないで意思決定してしまっている」ともとれます。
簡単に他人を裏切ったり、ある場面で天秤にはかった上で自分のメリットを重視したり・・というように、その人の目指すリーダーとしての方針や明確な考えを持たず理論と方法論だけを振りかざして仕事をこなすリーダー(候補)が増えてきているのです。
これはリーダーのロボット化とでも言えるでしょうか?
優れたリーダーは単に知識や技術が優れているわけではない、とわかっていながら、すぐに「自己アピール症候群」を患い、下される意思決定は常に「自分軸」になってしまうケースが増えている、と企業内でもビジネススクールでも言われます。
自己アピールは重要ですが、小手先のテクニックで他人を出し抜いてアピールするのではなく「他人から自然とリーダーと認められるような」意思決定を常に心がけ、その行動がそのままアピールにつながるように、「本物」の信頼力を持つリーダーが求められています。
器の大きいリーダーになるためには、枠を思いっきり広げ、時には視点をひいて客観的に自分が直面する状況をみることができる「冷静さ(平常心)」が必要なのかもしれません。
是非、これをきっかけに、ふとした自分の行動や下した意思決定を思い返し、本当に「自分の個性的な付加価値(自分だから保てるスタンス)を持っているか」、意思決定が「ブレていなかったか(部分最適ではなく全体最適の解を出せたか)」ということを振り返りたいものです。
(第3回連載「リーダーの信頼力」おわり)
新連載「ニーズを把握し続けること」とは」はこちら
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〜現場の話題、落とし穴、失敗などに注目して考えるコラム目次〜 通勤大学MBAシリーズその他の執筆を行うグローバルタスクフォースの編集部によるコラムです。体系的な知識や理論の整理を目的とするGTFの書籍群に対し、より実務的で現場よりのトピックを提供します。 ※本コラムはメンバー向けのメールマガジンの中のコーナーを加筆修正したものです
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