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LEADERS INTERVIEW
for Career Management

『インフレスパイラル』を興せ!

株式会社サイバーエージェント
代表取締役社長 藤田 晋


1973年福井県生まれ。97年青山学院大学経営学部卒業、同年インテリジェンス入社。98年、24歳でサイバーエージェント設立、代表取締役社長就任。クリック保証型インターネット広告を主軸に事業を急拡大させ、2000年3月東証マザーズ上場を果たす。同社はインターネット専門広告代理店国内No.1の地位を築き、インターネットメディア事業に事業領域を広げるなど、急速に多角化を推進している。2004年女優の奥菜恵さんと結婚。著著に『ジャパニーズドリーム』、『渋谷ではたらく社長の告白』(アメーバブックス)がある。執筆中のブログ

  僕が20代で得たかったのは「経験」です。仕事を選ぶときは、対価よりもキャリアを積むことを最優先して、より忙しく大変な状況に飛び込んできました。

  特に経営者を目指すのであれば、経営者の仕事を経験することでしか、その資質は身に付きません。僕の上場企業社長のキャリアは5年以上になります。20代で上場企業を経営するのは大変でしたが、時に痛い目に遭いながら、必死にいい経営者になろうと努力した結果、実力も伴ってきたのだと思います。

村上ファンドと志の高い仲間

  2000年3月に、26歳で上場を果たした直後、「ネットバブル崩壊」によって株価が急落。当社は格好の「買収ターゲット」でした。実際、数社から買収提案がありましたし、「村上ファンド」から有償減資の提案をいただくなど“株主の洗礼”も浴びました。孤立無援の苦境に立たされ、僕はひたすら耐え忍び、最後は楽天の三木谷浩史社長の支援で、この危機を切り抜けました。この経験で学んだのは「経営者は自分の信念を貫け」ということ。経営者はキレた瞬間に「ゲームオーバー」。忍耐力が必要です。こうしたことも、経験しなければ身に付かなかったでしょう。

  「買収攻勢」と「村上ファンド」には苦労しました。経営者仲間の助言や激励を支えに、信念と忍耐でこの危機を乗り越えました。

  今、親しい経営者は、有線ブロードネットワークス宇野康秀社長や楽天の三木谷社長、ライブドアの堀江貴文社長など。それは僕が常に「志の高い人」と付き合おうとしてきたからです。特に堀江さんとは共同で事業を立ち上げるほど意気投合して、「もっと上を目指そう!」という高い目線を共有しました。周囲の志が高いと自分も自然に「この程度じゃダメ。もっと上を目指そう」と常にモチベーションを高く維持できるのです。

  “高い目線の共有”という意味では、日産自動車のカルロス・ゴーン社長が、目標を背伸びして届く位置に定める「ストレッチ」を掲げ、大組織の再生に成功しています。僕の場合は背伸びどころか「ジャンプしてやっと届く」地点に大胆な目標を設定します。さらにそれを公言することで、自分をギリギリの状況に追い込むんです。僕は創業したての頃、新聞の取材で「今期は売り上げ5億円を目指す」と公言しました。明確な根拠はありませんでしたが、必死に努力した結果は5億円を大きく上回るものでした。最近の若い人は「恥をかきたくない」と思うあまり、“大きなジャンプ”を避けているのではないでしょうか。

週110時間労働で経験積む

  そして僕は“ハードワーク”が、20代で急成長するためには重要だと考えます。創業期は自分も社員も「週110時間労働」を課していました。僕だって長時間労働がいいこととは思っていません。しかし、当時は仕事に没頭する時間を増やすことで、周到な準備をしてお客様を訪問していました。その努力は相手に伝わり、「一生懸命やっているから仕事を任せてみよう」という気にさせたんです。そうやって得たチャンスで結果を出すと、次の仕事につながる“インフレスパイラル”ともいうべき好循環を生み出せるのです。

  20代のビジネスパーソンには、もっと勝負する勇気を持ってほしい。それは最近の転職者がどの「産業」で勝負するかよりも、「企業ブランド」で転職先を決める傾向を感じるからです。経験を積むには、経験が積める場を選ぶべきです。野球で言えば、Aクラスチームのベンチよりも、Bクラスチームで先発出場した方がいいし、Bクラスの中でもAクラスを目指すチームの方が、重要な場面で打順が巡ってくるチャンスも多いはず。成長している産業の方が、経験を積める場面は多いと思いますね。

最高の20代を過ごした

  起業当初「『フジタテレビ』を作る!」と宣言していました。これは、テレビ局を作ろうというのではありません。就職人気企業の代名詞『フジテレビ』にあやかり、「優秀な学生が就職したいと殺到する企業を作りたい」という意味です。

  一方で僕が『フジテレビ』に応募して入社していたら、喜んで働いていたに違いありません。でもそうしたら今の僕は絶対になかったでしょう。人気企業に就職してしまうと、入社したこと自体に誇りを持ってしまいます。そのうちに動こうと思っても、動く勇気がなくなってしまう。結婚するとき「○○会社に勤務する○○さん」などと相手の両親に紹介されたら、そこで人生決まったという感じですね(笑)。身動きが取れないというのは、すごくもったいないことだと思います。大企業だって、三木谷社長がいた日本興業銀行もその後統合されてしまったんですから。先のことが分からない時代ですよ。

  僕は20代前半のとき「一度限りの20代、後悔しない生き方をしたい」と強く願いました。20代は人生の中でも、1番輝いている時代。それを思いっきり駆け抜けたから、最高の20代が過ごせたと確信しています。僕の場合、いいことも悪いこともたくさん経験しました。それはたくさん打席に立てば、ヒットも凡打も多いのと同じこと。それでも打席に立ち続けることが自分を成長させます。必要なのは数多く打席に立とうとする“ちょっとの勇気”です。


20代 『急成長局面』のキャリア戦略

  20代は企業の成長段階で言えば「急成長期」。そこで取るべき戦略は、短期間の成長を見越した“前倒しの戦略”ではないだろうか。藤田氏はあらゆる場面で、若すぎるポジションを経験することで、自分を急成長させてきた。
  私が「ちょっと待とうと思うときはなかったか?」と聞くと「全くそう思わなかった」と返ってきた。思えばもし20代で失敗したとしても、リカバリーする時間は十分残されている。そうであれば藤田氏のように、一段・二段跳びで次のステージへと駒を進めるキャリア戦略も有効だと思う。(取材・文 角田 正隆)

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