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LEADERS INTERVIEW

10年後、20年後の自分の地図を描き出し、一つひとつ目標をクリアしていきたい!

タレント・プロデューサー
原田 篤氏


俳優を目指し日本大学芸術学部演技科に入学するが、中退しプロに転向。ドラマ、映画、舞台、バラエティーに出演する一方、リポーター、キャスターとしても活躍。2005年5月から有限会社サードプレースを立ち上げ、新事業の立ち上げを目論む。26歳。
<<出演情報>>
7月23日〜31日まで池袋芸術劇場小ホールにて舞台「H〜I!Jack!!」に出演。共演者は松田悟氏、森下千里氏、村上幸平氏ら。



30歳までは、あらゆる可能性に挑戦したいという俳優の原田篤氏。
本業の俳優という領域に留まらず、ビジネスの世界にも思いをはせる。そこには自分の人生をいつもワクワクさせていたいという強い思いが満ちあふれている。


−−2001年、マダガスカルで旅芸人と出会った。この経験がもたらした衝撃はかなり
大きかったのでは。


 「『世界ウルルン滞在記』という番組の収録でした。マダガスカルのお祭りを盛り上げるプロ集団、ヒラガシを体験する企画でした。これは辛かったですね。まず言葉が通じません。おまけに劣悪な環境でしたから。そんな中で彼らと生活しながら、ダンスを教えてもらいました。とにかく必死でした。これがやりたいんだという思いを本気で伝えたいと思っていると不思議なもので、いつしか言葉を越えて理解し合える関係になっていました」
 「もちろん、彼らも真剣そのものです。これほど練習しないとプロとして認められないのかという現実をまざまざと見せつけられました。自分の芸として披露することに対する厳しさも教えられたという気がします。正直言うと、アフリカの端にある国の芸能だとナメていたところもあったのですが、見事、裏切られましたね。これがキッカケで自分も舞台に立ち、ライブ感を味わいたいと思ったのです」

−−その思いが『突び出せ、365!!』というプロジェクトに結実したのですね。

 「ライブにこだわったイベントをやりたかったのです。02年夏ごろから企画を立ち上げると同時に、メンバー探しのオーディションをしました。自分がプロデューサーでしたから、スポンサーの確保、会場の手配、チケット作成、PRなど一通りやりました。その上、演出や脚本もこなしました。1日1時間ほどしか眠れない日々が数カ月は続いたのではないでしょうか。03年1月、念願の第1回公演にこぎつけた時には、なんだできるじゃないかという思いでいっぱいでした。スポンサーやお客様にも喜んでもらえました。とにかく何にも替え難い満足感を味わえたといえます」

−−5回の公演を最後にライブは休止。03年7月にはメンバーも離ればなれになってしまったということですが、今そのころを思い返すといかがですか。

 「メンバーを含め、周囲を評価できない自分になっていた気がします。もっと冷静になるべきでしたね。自分はメンバーに何も与えることができなかったのではという反省もあります。それでも短い期間ながらプロデューサーを務めたことで、人の動かし方や接し方、おカネの集め方などいろいろな勉強することができました。プロジェクトの失敗を冷静に振り返ることで、自分にはリーダーとして何が足りなかったのかを見極めることができるようになったのではないでしょうか」

−−役者としての原田篤にも何か変化がありましたか。

 「芝居をやり始めたころは、主役志向がとにかく強かったのですが、演出などを手掛けたことで、自分を一歩引いたところから見られるようになってきました。二番手、三番手でも、その役は自分でなければできないと思うようになり、キャスティングされた時点で自分に自信が持てるようになりました。そこでやっと全体の中で役を演じる面白さを意識できるようになってきた気のだと思います。台本を読んでいても、全体を見られるようになってきています。これは、役者として本数を重ねたからだけでなく、プロデューサー業をこなしたことで生まれた変化だといえるでしょう」

−−クリエーターと深く接していきたいという気持ちが伝わってきます。

 「絶えず何かを創り出そうとしているクリエーターが好きだということと、自分自身がそうありたいと願っているからです。クリエートする対象はプロジェクトでも、作品でも、ビジネスであっても良いのです。何かを自由に発想しようとしていれば。逆に、何かうまくいかないことがあるとすぐに会社が悪いからだとか、他人のせいだと言い訳するタイプにはなりたくはありません。不平不満を言うとか、誰かに責任を転嫁したら、その時点で発想が停止してしまうからです。グチを言い合う時間すらもったいないじゃないですか。むしろ、どうしたら可能性が広がるかを発想することで次の何かが生み出されてくると信じています」

−−ご自身のホームページ上の日記を拝見しました。特に04年の後半あたりから、次のフェーズを目指そうという強い姿勢が伝わってきます。

 「確かにそうですね。経営コンサルタントをしている友人から『人生をもっと長いスパンで見るべきだ。10年後、20年後に何をやったらいいのかを考えなければいけない』とアドバイスされたのです。10年後に自分が目指す年収やポジションはどこなのかと思い描き、それを実現するためには何をやるべきかを書き込んでいけと。おかしなもので、1回書き上げてみると自分自身に焦らなくなるというか、余裕ができるのです。思ったよりも早く目標が実現できればもっとハイレベルな目標を設定しようという気になってきます。逆にたどり着けなくても、焦らず立て直せる。こうしたセルフマネジメントの手法を自分の知り合いのスポーツ選手や役者、クリエーターらにも伝えています。彼らと一緒に語り合うことで、自分の考え方がより深まっていくことが嬉しいですね」
 「並行して経営、経済、法律など幅広いジャンルの書籍を読むように心掛けています。お薦めの本は、ジョン・シモンズが執筆した『スターバックスコーヒー(豆と、人と、心と)』です。冷静な判断力と経験、強い意志が必要だとつくづく実感させられました。05年からは、勉強会や交流会にも積極的に参加し、出会いを広げるようにしています。新しい事を知る、新しい人と出会うことで、何かワクワクした日を過ごせるような気がしてくるからです」

−−05年5月には、ご自身の会社がいよいよ立ち上がりました。これからどのようなリーダーになりたいか、実際に何を手掛けていきたいと考えていますか。

 「会社の設立は04年から思い描いていました。友人からも『お前にはプロデューサー業の方が合っているかも』とよく言われていましたから。社名は、サードプレースにしました。家や職場とは違う、都市で楽しく暮らすための第3の場所というコンセプトに共鳴したからです。この空間で多くの人たちが出会い、新しい芸術や文学、ビジネスを生み出していけたらとイメージしました。具体的には、自分のマネジメント事業はもちろん、アパレルブランドの立ち上げ、ドラマ仕立てで構成する商品のプロモーションビデオ制作、番組企画などを予定しています。何をするにしても、ワクワク感を形にしていきたいものです」
 「ビジネスリーダーになるためには、多面的な視点でモノを見られるようにならなければいけないと考えています。そのためにも、今は設立から3年以上経過した会社の経営者にお会いしていろいろな話を聞くよう心掛けています。自分にとって、経営のリアル感を最も味わわせてくれる方々なのです」

(取材・文 袖山 俊夫)
日経BizCEOは、日経Bizキャリアと世界最大の公式MBA組織日本支部を兼務するグローバルタスクフォース(GTF)の共同サイトです。

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