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『それぞれが持っているすてきなところを最大限に伸ばし生かせるような存在になりたい』

有限会社メディア・サーカス
代表取締役
作間由美子氏


NPO法人ベンチャーネットワークジャパン女性ベンチャー理事。京王プラザホテル、ホテルメトロポリタン仙台でサービス・従業員教育に携わった後、総合法令出版(株)に入社。営業・編集部門に配属。関連会社である(株)ホーレイメディアネットの社長を経て、2003年独立。同年(有)メディア・サーカスを設立し、社長に就任。出版と女性啓発をメーンに事業を展開する。42歳。


保東北地区初の女性ソムリエ、営業成績全国NO.1のセールスウーマン、ベストセラー書籍のプロデュース--。作間由美子さんのキャリアの軌跡には思わず目を留めたくなる。現在はベンチャー経営者として活躍する一方、起業支援に積極的に取り組むビジネスプロデューサーだ。作間由美子氏にリーダー観を聞いた。

――女性の起業支援に積極的に取り組んでいらっしゃいますね。

   「始まりは、杉並区から私が所属しているベンチャーネットワークジャパンに女性のための起業支援についての講座をやってくれないかという依頼でした。たまたま私が女性ベンチャーの委員だったことから担当したという感じで、どちらかというと受け身です。『起業に男も女も関係ないだろう』ということで、MBAのようなカリキュラムを組んでいました。ところがそれではどうもしっくりいかない。そこで『女性のための』ということに視点をシフトしました。女性が人生に求める ものはなんだろうということを考えながら、カリキュラムを創りました。だんだんとおもしろくなっていきましたね。自分をよく知ること、いまの自分の環境を見つめ直すこと、そして仕事としてやりたいことはなんだろうということを、同じように考えている人たちといっしょにシェアしながら起業への道へ進んでいく、そういった講座にしてみたのです。おかげさまで、昨年は約600名が受講してくださいました。実際に起業される方もいらっしゃいますが、自分らしい生き方、自己実現の一環として起業を求めている方も多い。講座では、事業計画までなのですが、私としては、そんな女性たちをアクションプランへと結び付けるものがないだろうかと模索していました。そんなころ、ある方より、『女性起業支援のプロジェクトをやってみないか』とお声をかけていただいたのです。


――--具体的にはどのようなプロジェクトが進んでいるのですか。
   「21世紀の新しい会社は女性×コミュニティ(女性の自立と地域の活性化、社会貢献)という考え方から立ち上げた、『We'sプログラム』プロジェクトというものです。女性って家計簿をにらめっこしながら、社会貢献を考える、そんな感じです。女性の特徴だと思うんですけど、カフェをやりたいといってもそれだけではないのです。ご近所の駆け込み相談所のようなカフェをやりたいとか、どこか地域のコミュニティを求めている。また別の面では、女性が出産、子育てという人生の大事を迎えたとき、現在の企業の中ではなかなかやっていけないという現実があります。そこで、地域に密着したホットスペースとなることで新しいコミュニティがそこから生まれる…、結婚、出産を機に家庭内に落ち着いたものの、好きな時間だけ仕事ができたら…と考えている女性たちにも働いてもらい、経済的、精神的にも自立できる環境を提供する、そういったプロジェクトです」
   「具体的には、第1弾として『夢ある街のたいやき屋さん』1号店を2005年10月からモデル店としてオープンさせました。小さなお子さんがいても働ける時間帯、子供からおじいちゃん、おばあちゃんまでが集まるお店としてのたいやき屋さんです。見た目は『おしゃれなたいやき屋』といった感じですが、働いているスタッフはいつか起業意欲のある女性や、子育てアドバイザーやカウンセラーなどと何らかの目標を抱いていますので、セミナーで起業や経営の仕方を学んでもらっています。今後パートナーシップ契約で全国展開を考えています。起業するまでのサポート、起業してからのサポート、運営に関してのサポート、仕入れなどについてのサポートをしていきます。『We'sプログラム』が本体となることで、確かな品質とシステムと教育が提供できます。その1号店を弊社で出したわけですから、私のとっては起業教育の現場に立てる、売り上げも入る、社会貢献のお手伝いもできるとあって、私のライフワークのすべてがこのプロジェクトを通じて実現できる仕組みになっているのです」


――出版社時代に子会社の立ち上げを経験されていますね。きっかけは何だったので
すか。


   「総合法令出版の編集部に在籍していた私に、同社の社長から『これからは紙媒体だけでは生き残れない。インターネットと書籍を両方担える会社を作りたい』と持ちかけられました。1999年ですから、まさにITバブルのころでしたね。社長になるのは誰かなと他人事のように考えていたら、『君が社長だ。新しい会社をエンジンにして本体をさらに大きくしてくれ』と。もう晴天の霹靂(へきれき)ですよ。経営の素人にいきなり資本金1億円の会社の経営者になれというのですから。結局は社長の熱意に口説かれてしまったというところでしょうか」


――いきなりの経営者デビューだったわけですね。

   「それから4年間、新会社の社長として6人のメンバーを統率しました。幸運にも立ち上げ当初からIT(情報技術)系企業をメーンクライアントにPR業務やIRプロデュースを手掛けることができ、毎月数千万円もの売り上げがありましたからスタートは順調でした。でもITバブルの崩壊もあって、クライアント先が休眠状態に陥ってしまってからは、気が付けば外注先への支払い、家賃、社員への給与、もう請求書の山でしたね。頼りにしていた経理担当者が末期ガンと診断されるなど、もうどうしようもないほどに追い詰められました」

――起死回生の策は何だったのですか。

   「まずは出費を抑えようと家賃の高いビルを引き払い、親会社の一角に間借りしました。事業内容も方向転換することとし、出版プロデュース業を主軸に新しい著者を発掘していくことにしたのです。その後、グローバルタスクフォースをはじめ魅力ある執筆陣と出会うなかで、『通勤大学シリーズ』(総合法令出版)という新しいコンセプトに基づく書籍をプロデュースすることができました。おかげさまで、これが大ヒット作品となったのです」

――それでも2003年には独立し、メディア・サーカスを設立されましたね。

   「確かに子会社の社長を経験したことで、経営は学びました。ただ、仕事を通じて数多くのアントレプレナーにお会いしたり、NPO法人ベンチャーネットワークジャパンの活動に携わるにつれて、起業家と雇われ社長の違いは何なのかを強く意識するようになったのです。そのうちに自分は会社を経営していたといっても、雇われ社長にすぎない存在だったのではと思うようになりました。ならば、自分自身で新たに会社を立ち上げてみよう。それが、メディア・サーカスだったのです」

――今後、メディア・サーカスを通じてどのような展開をしていきたいとお考えですか?

   「人・モノ・会社のファンを増やすための応援団でい続けたいですね。人や売り出したい商品、会社、それぞれが持っているすてきなところを最大限に伸ばし生かせるようなお手伝いをしたいのです。ファンを創造し、増やすツールや仕組みづくりもアドバイスしたり、作り出したりしていくつもりです。最近ではよくテレビや雑誌、書籍で見かけるようになった『ゆる体操』も私たちの仕事のひとつです。私自身、これまで多くの魅力ある方々と出会い、数多くのことを学ばせていただきました。皆さん、それぞれの分野でトップと呼ばれる方たちばかりです。彼らに少しでも認めてもらえればという気持ちがあったからこそ、ここまでがんばってこられたとのではと思っています。だからこそ、これからは自分が、夢や目標に向かって一生懸命な人を励まし、前進するためのきっかけを作っていきたいのです。もともと、ぐいぐい引っ張っていくリーダーというよりも、サポーターのほうが私の性格には合っていますからね」

(取材・文 袖山 俊夫)
日経BizCEOは、日経Bizキャリアと世界最大の公式MBA組織日本支部を兼務するグローバルタスクフォース(GTF)の共同サイトです。

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