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LEADERS INTERVIEW for Career Management
「事業失敗からの復活」
バイ・デザイン株式会社 代表取締役社長 飯塚 克美氏
▲1949年東京都生まれ。72年明治大学経営学部卒業。同年タンディ・ラジオシャック(現ラジオシャック)日本法人入社。電子機器の敏腕バイヤーとして、日本、韓国、台湾、米国などで活躍。87年デルコンピュータ(現デル)入社。88年同社日本法人社長就任。95年パソコンメーカーのアキア設立。2期目で年商100億円を超す急成長を遂げたが、アップルコンピュータの政策転換によるMac OS商品の生産中止、銀行の貸し渋りにより事業にとん挫、カシオ計算機の傘下に入る。2003年6月、薄型ディスプレーテレビのバイ・デザイン設立、代表取締役社長就任。
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■リーダーの条件は「情熱と意志」
リーダーの条件は「熱い情熱」と「強い意志」の2点に尽きます。そしてリーダーシップは、社内だけではなく社外にも発揮されるべきだと考えます。サラリーマンだって、情熱と意志がなければ、取引先が付いてこないでしょう。私が立ち上げた社員10数人のバイ・デザインは、日本やアジアの大手メーカーに薄型ディスプレーテレビを製造委託し、米国の大手量販店ベスト・バイや日本の大手家電販売店などに販売しています。熱く強い気持ちがなければ、厳しい彼らの窓口にすら、たどり着けなかったはずです。
今の私の基盤になっているのは、自分が20代から30代に経験した、アジア・米国での購買と営業のキャリアです。ここで培った交渉力と人脈が、私が会社をけん引する原動力になっています。
■1人で築いた「トップ人脈」
大学卒業後、私は米国のラジオシャックという8000店舗(当時世界最大規模)のエレクトロニクスショップを展開する会社に入社しました。入社間もない24歳で韓国駐在となり、現地メーカーから部品を買い付け、製品を製造委託していました。しかし私は若い日本人でしたから、なかなか相手にしてもらえません。相手に与えられる何かが必要だと考え始めました。当時、韓国は外国との交流が制限され、取引先は海外の情報に飢えていました。私は米国企業に勤務する日本人という立場を生かし、米国のマーケット情報と日本のテクノロジー情報を提供しました。情報元は日本から取り寄せた業界紙や米国の雑誌などですが、その話を韓国メーカーの担当者たちが、身を乗り出して聞いてくれたのです。そのころ、韓国駐在の日本人は100人程度。私のように踏み込んだ交流を求める人はいませんでした。「いつも御社のことを考えている」という姿勢で、韓国メーカーと一緒になって商品企画を考えるうちに、「飯塚とだったら新商品を開発できる」という、強い信頼関係に基づいた幅広い人脈を築き上げたのです。そのとき担当者として付き合っていた友人が、現在、韓国大手電機メーカーの社長・会長クラスに出世しているのですから、人脈というのは面白いものです。
■単なる取引先で終わるな! 取引先とビジネスをして、単発の取引で終わるようでは、経営者になる人材としては物足りないような気がします。私は取引を始めるとき、自分の会社のことだけでなく、取引先がどうやったらいい商品を開発し生産できるか、真剣に考えながらお付き合いしていました。
20代のころ、「アメリカ合衆国独立200年記念ラジオ」を企画しました。日本メーカーが設計して、創業間もないころの大宇電子が中身を製造したのですが、設計の手違いなどがあり、十分なパフォーマンスが出ませんでした。年末に間に合わせるには、韓国メーカーに航空便での再納品を依頼しなければなりません。しかし、コストがかさむ航空便を使えば、韓国メーカーの利益が飛んでしまいます。私は大宇電子の社長を訪ね、最初にこれまでの経緯をきっちり説明しました。その上で自社と日本メーカーの損失負担額を明らかにし、社長に航空便での納品を依頼したのです。当初は「日本メーカーの設計が悪い」の一点張りだった社長でしたが、私のオープンな交渉姿勢によって、なんとか事情を納得してもらい、期限に間に合わせることができました。似たような場面に出くわすことがあると思いますが、こんな時にこそ、普段からの相手を思う付き合い方がモノをいいます。結局、相手がこちらの状況を理解して、私の言い分を聞いてくれたのです。もちろん、彼らとはその後も取引を続け、結果的に大きなビジネスになっています。
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■事業失敗からの復活
私は以前、パソコンメーカー「アキア」を立ち上げ、2期目に年商100億円を突破させました。ところが、銀行の貸し渋り局面を乗り切れず、事業に失敗した経験があります。個人で抱えた負債を返済して、再び復活できたのは、冒頭でお話した情熱と意志を持ち続けたからだと思います。当時から私は、自社がマーケティングに特化し、製造を他社に委託するアキアのビジネスモデルは、パソコン以外の分野でも通用すると信じていました。だからアキアに失敗して以来、私は常に“消化不良”の状態だったのです。アキアを離れた私は、日本、米国、台湾、香港の企業をコンサルティングしながら再起のチャンスをうかがっていました。特に薄型ディスプレーテレビは、世界的な市場規模を考えると、とてつもない可能性を秘めた市場だと注目。仕事で各国を訪れるときに、市場動向を調べていました。
当社を立ち上げるとき、周囲は半信半疑でした。「おとなしくコンサルティングしていればいいんじゃない?」という声が圧倒的でした。しかし2年間のリサーチ期間を経て、この市場での成功を確信していました。そのうえアキアとデル時代の仲間が数人、共に立ち上がってくれたのです。それだけ社長としての責任も重いのですが、それ以上に好きなことを仕事にしているという幸せを感じています。仕事は楽しくてまるでゲームのようです。社長としてビッグなゲームに情熱をかけている喜びがあるので、寝る時間がなくなるほど忙しく仕事をしていますが、自分では仕事とは思っていません。全くストレスを感じませんし、毎日楽しく仕事させてもらっています。それは本当に、いい仲間、スタッフ、取引先に恵まれているおかげだと心底感謝しています。
密度の濃い海外出張
月2回以上は海外出張する飯塚氏。出張中はほとんど寝ずに動き回っているという。飯塚氏は米国などに行くと、大手家電販売チェーンに足しげく通い、競合他社の価格動向に目を光らせる。夜も必ず取引先と食事し、販売先・仕入れ先との情報交換を欠かさない。無線LANが開通していれば、床に座り込んでも、その場で仕事を始める。従業員数10名のバイ・デザイン社が、従業員数万人の大手メーカーや大手ディスカウントストアを巻き込んで事業を展開しているのは快挙だと思うが、それも経営トップの超人的な行動力があってのことだ。(取材・文/角田 正隆)
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